いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

節約生活を特集するTV番組を見て子どもがかわいそうに思えた

たまたまTVで夕方のニュース番組を観ていたら一家6人が生活費を月7万円に抑える節約生活というのを紹介していて、 その内容があまりにも衝撃的だった。 番組で紹介されていた家族は15年前に床暖房やジェットバスを備えた豪華な一戸建てを建てるも、 住宅ローンの支払額が上がるのを機に極端な節約生活をはじめて、30年ローンをわずか7年で返済して、その後も節約生活を続けているという。

その節約生活ぶりは徹底的で、特売品を買い込んで一気に食べてしまうので冷蔵庫には電気が通っておらず、 ガスも通ってないので10時間かけて風呂釜保温用の電気ヒーターで沸かして蓋をしたまま全員が順番に入る*1。風呂の残り湯はタライで十数回も汲んで洗濯に使い、さらにその排水はトイレを流すのに使われる。料理は電気鍋で大皿料理を1品だけ作って、食後に鍋底に残った肉や野菜は翌日のパスタやスープの具になる。極力文明の利器に頼らない生活を実現するために携帯電話もなく、あるのは電源いらずのダイヤル式の電話器だけ、照明器具も外してあって9時には消灯するらしい。暖房器具はコタツだけだし、しかもこれも電源はつながっておらず中には湯たんぽが入っている。男は全員庭先でバリカンを使って丸坊主で、女性もたぶん美容室には行ってない感じだった*2。 この家の夫婦はふたりとも元漫画家で、奥さんは節約生活のエッセイ漫画を発売したばかりだという。たぶんこちらを読めばどんな節約生活をしてるか詳細がわかると思う(読んでない)。

びっくり節約生活! 一家6人+1(プラス ワン) 月7万円

特集をみながらあまりにストイックな節約生活に若干ドン引きしていたのだけど、この家の長男がこの春めでたく大学入学が決まって、入学式に着ていくスーツとして出てきたのが、お父さんが成人式のときに買ってもらったスーツだというところでもう限界だと思った。大多数の大学新入生男子は黒や濃紺のスーツを大学入学にあわせて新調するか、そうでなくてもちゃんとサイズの合ったものを着てくるだろう。そこに浅いグレーで胴はぶかぶか、袖は足りないなんていう状態の人がいたら確実に浮く。

大学入学からしばらくの時期というのは、大学の中で人間関係を作る上でそれなりに重要な時期のはずだ。もしかしたら入学式の時点である程度人間関係を構築するようなイベントが用意されているかもしれない。そこでそんな明らかに他と違う格好をしていたら、きっと何か家の事情とかがあるんだろうという先入観を持たれてしまう。少なくともサークルやコンパや遊びには誘われづらくなるだろう。 しかも、紹介されていた節約生活から察する限り、彼はケータイも持っていないと思われる。現代の10代20代にとってケータイを持っていないというのは、それだけでコミュニケーションの障壁を高くしてしまうはずだし、アルバイトとして働く場合にも支障が出かねない。彼の大学生活のスタートが本当に心配になった。

別にお下がりのスーツをもらって着ることもケータイを持ってないことも、決して悪いことだと言い切れるわけではない。しかしおそらく金銭的にそこまで余裕がないわけではない(少なくとも一戸建てを所有してローンも完済している)家庭なのに、親があまりにも子どもが社会生活を行なう上で重要なものへの投資を怠りすぎているように見えるのは問題だと思う。きっと親は「子どもが『いらない』と言ったから……」ということを言うのだけど、親が「いらない」と言っているものを子どもが「欲しい」とはなかなか言えないと思う。

ここまで長男について書いたけれども、その下の高校1年生の長女についてはもっと深刻に思う。女の子同士のほうが多くの場合異質な子の存在に敏感だし、クラスの中で孤立していないか本当に心配している。どうかこの夫妻にはもう少し自分たちの節約方針が家の外での子どもの生活へ与える影響について考えて直してほしいし、子どもには親の方針を客観的に見る力を身につけて強く生きてほしい。

秒速で1億円稼ぐ条件

*1:これに関しては10時間の間に相当熱が逃げてるだろうしこんな保温用の弱いヒーターを使うんじゃなくてふつうに湯沸し器を使ったほうがいいと思う

*2:少なくとも今風の雰囲気ではなかった

「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から

東京都下、新宿まで電車で40分かからないところに住んでいた。 大学の近くに住むために引っ越した先は都心からは少し離れて、新宿まで電車で50分以上かかるようになった。 それでもアマゾンは当日お急ぎ便でなんでも届けてくれるし、トーキョーバイクもルイガノもときどき走っている。 小学生のころには幕張メッセまでミュウを貰いに行った。

それでもあれは「田舎」だと思う。 地方出身者からすればその態度が許せないのだろうけど、僕らは僕らなりに都心に対してコンプレックスを持っているし、 だからこそ自然と「私が住んでるところは田舎だよ」が出てしまう。

僕の実家はいわゆるニュータウンの中にあって、その住民の大半は都心に通勤する人たちで、毎朝電車に乗って都心に通勤していた。 そういう場所なので、都心に行って遊びたいと思ったら、ランチを我慢する程度のお金と往復の数時間を代償に都心に行くことができる。 テレビは関東一円同じものが放送されていて、そこで紹介されているもののほとんどは都心だし、その一方で地元の情報はほとんど流れない。

たしかに必要なものはなんでも手に入るけど、クラスのみんなと違うものはぜんぶ都心にあった。

何年か前に僕の実家の近くの小学校の女子児童が渋谷に出かけているときにデートクラブを経営する男に監禁される事件が起きた。 あのときなんで小学生が渋谷に、なんでデートクラブにという声があったけど、僕にはその理由はよくわかる。 雑誌やテレビに載っている最先端の街まで行くのにジュース2本我慢すればいいだけなのだ。 ただし、そこで最先端のモノを買ったり最先端の体験をしたりするためにはお金が必要になってしまう。

大学に入ると、また違った意味で都会が羨ましくなる。 それまでほとんど同じような境遇の人しかいない世界にいたのに、「都会っ子」という新しいジャンルの人と接することになる。 僕にとってはインターネットで関わる人たちもそうだった。 都会っ子と飲んでいると、自分だけ終電があるから23時ごろまでに抜けないといけない。 都会っ子が深夜にお腹が減ってラーメンを食べに行った話を聞くと、自宅の周りに深夜でも開いてるラーメン屋が無いことに気づいてしまう。 「電車が止まってて歩いて帰った」という都会っ子の話を聞きつつ、自宅から隣駅まで歩くと1時間半はかかるなとか考えてしまう。 電車に乗れば都会まで一本とはいえ、家から寝間着のまま歩いていけるような範囲にはコンビニすらないし、 鳴り物入りでオープンした大きなショッピングモールには車でなければ行けない。

だから、「私が住んでるところは田舎だよ」という言葉が出てきてしまう。 いくら都会に近くても、最先端のおしゃれなスポットに行くには2時間近くかかるし、毎日毎日の体験一つ一つが都会っ子とは全く異なる、すべてがダサくて垢抜けなくて不便なものに感じられてしまう。 地元はおじさんおばさんおじいさんおばあさん用のものばかりだし、ショッピングモールまで車で行っても、どこでも買えてみんなが持ってるようなものばかりが並んでいる。

一度都会の空気を吸ってしまうと、もうそれだけではダメなのだ。 だからこそ「お前たちは恵まれている!」と言われても、「でも私の地元はやっぱり田舎だから」という噛み合わないやりとりになってしまう。郊外育ちにとっては郊外育ちなりに都会は羨ましいものだ。

追記 (2013/01/17 9:23)

つまりこういうことです

関連

修士論文を提出しました

先日、無事に修士論文を提出しました。 あとは最終発表さえこなせば、修士(政策・メディア)という謎の肩書きをゲットできるはずです。 研究の内容などについてはいずれちゃんと紹介することにして、このエントリーでは学生生活を振り返る感じのことを書きます。

大学院に入った理由

大学院に入ったのは、「シューカツしたくなかった」というのと「まだ勉強不足だと思った」というのが理由だった。

もともと、大学を卒業したら何をしようとか考えが及ばなくて、 情報系の研究室にいたしインターネット漬けの生活をしていたので、 漠然と「まあWeb関係の仕事をするんだろうな」くらいにしか考えていなかった。 働くことに対する意欲もあまりなくて、できれば働きたくないしお金も生きていける程度にあればいいや程度に考えていた。

当時は今よりずっと鬱屈とした性格をしていて、ただひたすらシューカツを否定的に捉えていて、 「シューカツしたくないなー」とか思っていたらいつの間にか同期のひとたちがシューカツをする時期になっていた。 没個性的なスーツを着て没個性的なプロフィールを書いてとにかく周囲に合わせて行動するというのが本当に嫌だったし、 シューカツを理由に授業を休む人がたくさんいるのを見て、こんな自由のない生活になるのは嫌だと思っていた。 加えて、当時は「意識の高い学生」みたいなキラキラした人たちに対して必要以上に激しい憎悪を抱いていて、 そういう人たちが「学生時代に学生団体のリーダーシップを云々!」みたいなことをアピールしてるところに行きたくなかった。 そういうアピールが有効にはたらくような場所では根暗でインターネット漬けの僕は絶対に負けるし、そんな土俵に立ちたくなかった。

学部の頃、同期のなかではプログラミングができるほうだったのもあって、 もしそういうキラキラした人たちに勝てるとしたらプログラミングしかないと思っていた。 ところが、その腕前もまだキャンパス内で上位のほうというだけだった(と当時は思っていた)。 僕のいたキャンパスは日本のインターネットの父がいたりするし、 学生はPCを持ち歩くのが普通だし、世間的には情報系に強いイメージだと思う。 ところが実際はそうでもなくて、まあ必修科目だからプログラミングはするけど、 Hello worldしてwhile文が書ければそれで終わりという人も多いし、 研究室も情報系とはいえガリガリとコードを書く感じではなかった。 そういう環境で育っているので、周りの技術力は信用できなかったし、 そんな集団の1人である自分の技術力も本当に通用するものなのか疑わしかった。 一方でインターネットで見かけるガチの情報系学部や高専生の人はあまりに技術力が高すぎて、 とても敵う気がしなかった。

今思えばそこまで気にすることではなかったのだけど、 当時は「今のままプログラマーとして就職したら死ぬか殺される」くらいに思っていた。 Webサービスやソフトウェアを作っている人たちは本当にものすごい力を持っているように思えたし、 そういう力も無しに就職なんてしたら地獄の研修で殺されるかしかないと思っていた。

そういうふうに考えると、大学院に進学したのはほとんど逃げだった。 シューカツも地獄のような研修も嫌だし、それを逃れる力を持っていなかった。 そういう状態だったので、研究それ自体へのモチベーションは元々そんなに高くなかったのかもしれない。

研究のこと

そもそも、2年生のときから研究会(ゼミ)にいたのに、 学部の最後のほうまで研究というものが何なのかいまいちわかっていなかったような気がする。

僕が学部に入学した2007年度は、大学のカリキュラムが大きく変わった年だった。 それまで任意だった研究会と卒業論文は卒業に必要な科目ということになったし、 そのせいなのか、僕が一般入試で出された小論文の問題は「あなたが教授だったらどんな研究をしますか」というもので、 資料は2007年度からの授業のリストだった。 1年生のときには先生たちが自分の研究を週替りで紹介するような授業も受けさせられた。 その変化と、変化を迎えた先生たちの熱意もあって、当時は否応なしに「研究」を意識させられた。

ところが、その「研究」が具体的に何なのかはあまり説明されなかった。 もしかしたら毎回1限に開講されていた授業だったし、だるくて毎回寝ていたせいで聞いてなかっただけなのかもしれないけど。 どの先生も、自分のプロジェクトで作ったものであるとか、TVで紹介されたときの映像であるとかを紹介するのだけど、 では研究者というものが普段どういうことをして研究生活をしているのかということは全く説明されなかった。 論文とか学会のこととか、この研究者がこういう理由ですごく偉いとか、そういう話はほとんど知らないままだった。

そんな状態で2年生になるとき、研究会を履修しなきゃいけないという意識になって、研究会を選んだ。 選んだ基準はWebサイトに研究成果として載っている作品が面白かったことと、 候補にしていたほかの研究会と比べておしゃれっぽいことをしていたこと、 そして昔使っていたソフトの作者がいたことだった。

普通の研究室だと、先輩が後輩の面倒をみる制度が確立していたり、先生がテーマを提案してくれたり、先輩のテーマを後輩が引き継いだり、 プロジェクトをグループで進めていたりしているみたいだけど、 僕の入ったところはそういう仕組みが一切なくて、個人がやりたいことをやりたいように進めていた。 おかげで好き勝手に自由なことができていたけど、学会とか論文みたいな具体的な目標もなくて、曖昧な進め方をしていた。

研究会ではいろいろとプログラムを書いたりしていたけど、どれも研究とは言いがたいようなものばかりだった。 学部の4年生になって、英語の論文を読んだり自分で学会投稿論文や卒業論文を書いてから、 ようやく論文というものがどういうものなのか、なんとなくするようになった。

大学院生活

大学院に入る直前の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。そのせいで授業の開始が1ヶ月先送りされた。 この1ヶ月のあいだ、何かもっとためになる行動を何かしていればよかったのに何もしていなかったのは大学院生活でいちばん後悔するべきだったと思う。 毎日寝て過ごして、起きたら夕方だったなんていうこともよくあった。

1ヶ月のニート期間が終わると、怒涛の授業が始まった。 1ヶ月休みだった部分をカバーするために、1ヶ月に1回か2回は日曜日に授業があったし、 当時はバイトの掛け持ちもあったので、心休まる日が2週間に1日なんていうこともあった。 この学期は本当にまともな研究をしていなくて、 もし2011年3月からやり直せるのならここでバイトの掛け持ちとか断ってちゃんと研究活動をしたいと思う。

大学院で一番よかったのは、大学院のネットワークの管理運営に関わる仕事をできたことで、 このおかげで情報系のほかの研究室の友達ができたし、 なによりそれまで自己流だったサーバーやネットワークの管理のちゃんとした知識が得られた。 僕の研究室は情報系としてはゆるふわな感じで、ほかの情報系の研究室からは若干孤立している感じがあって、 本当にガチ情報系の人たちと知り合う機会はほとんどなかった。

2011年の秋学期には、後輩の学部生の発言を見て学内向けのWebサービスを作った。 これは2012年の秋学期まで稼働させた。

とはいえ、研究のほうはあんまりパッとしなくて、 修士1年のころの論文は0本だったし、自分でもまともに成果が出ずに悶々としていた。 震災のせいで出鼻を挫かれたという気分もあるけど、これは正直に自分のせいだと認めざるを得ない。 修士2年になってようやく修論のテーマが定まって、やっと研究らしくなった。 今年は修士論文以外にも論文を2本書いたし(1本は第2著者だけど)、もっと早くこういうモードに入るべきだったと思う。

学生生活の終わりに向けて

10月の頭に、それまで住んでいた大学の近くの家を引き払って都内に引っ越した。 卒業後は現在のバイト先でそのまま働くことになって、会社の近くに住んで半年間はそこから学校に通うことにした。 あたらしい家から学校まで2時間近くかかるので、週1回か2回は学校に泊まるような生活をして、 そのために研究室の僕の席の後ろにキャンプ用のベッドを常設して、 修士論文を書く頃には鍋とかザルとかの簡単な調理器具も持ち込んだ。

大学の近くの家は、新宿まで出るのに1時間半近くかかるような場所で、 生活に不便はないけど動きまわるのにはいろいろと不便だった。 なにより、深夜まで学校で作業してそのまま朝まで研究室で寝ているなんていう生活をするのであれば、 わざわざ学校の近くに住んでいる必要がなかった。 中途半端に都心に行けてしまうような場所に住んでいると、都心に行くような用事も案外多くて、 そのたびに1時間以上電車に乗って片道500円以上のお金を払うのが嫌だった。 定期券さえ買ってしまえば、学校以外の用事はほとんどが都内だし都内に住んでいる方がいろいろと都合が良かった。

10月の中間発表が終わって、修士論文の執筆に向けて、とりあえず学部のときに同期が作った卒業論文のテンプレートを修正して修士論文のテンプレートを作った。 修士論文はGitHubにPrivate Projectを作って管理して、大学院の同期3人でお互いをCollaboratorにして進捗を共有した。 12月の半ば頃からは、いつでも誰かしら大学に泊まっているような状態で進めた。 最終的に僕の修士論文は70ページを超えた。

修士論文を提出したとはいえ、まだ最終発表は残っているし、 これから2つも学会に出ることになっているので一段落というだけでしかない。 まだまだいろいろとやることがある。

大学院に入って何が学べたかというと、まだいまいちわからなくて、 なんとなく2年間を過ごしてきてしまったような感じはする。 ただし学部生の頃と現在とで一番違うのは、あの頃は自信もなく働くことにもネガティブだったことで、 今はとりあえず自分が何をできるのかわかっているつもりだし、それが生かせそうな場所も見つけている。 そういう意味で大学院の2年間は無駄ではなかったと思う。 とはいえ、大学を出たあとの2年間を、現在の大学生全員が大学院で過ごして幸せになれるとはとても思えないし、 正直なところ、何も考えずに誰に対しても進学を勧められるというわけではないように感じている。 やっぱり、何かを探求するようなことが好きで、それに向けて自分から動けるような人でないと2年間を無駄にしそうな気がする。

研究という行為自体に対する気持ちも薄れたわけではなくて、 むしろ大学院生活の終わりにさしかかるにつれて楽しくなってきてしまったのだけれども、 とりあえずしばらくは別のことをしてみるのがいいかなと思っている。 博士課程を勧められることもあるのだけど、今はそれをするときではない。 とりあえず今は修士課程の卒業までのことしか考えられていなくて、 卒業後に就職してどういう生活をしていくことになるのかまったくわかっていない。 博士課程は3年かかるし、3年間の生活といろいろな活動と、 それで得られるものを天秤にかけるにはまだ早い。

ひとまず、これから先の活躍に(ほどほどに)ご期待ください。

突然ですが、なにも考えずにFacebookで仕事の話題の投稿を毎日のようにしている方々に言いたいことがあります。

あなたのFacebook友達の中に、就職活動をしても職に就けず、仕事にありつくチャンスを得るためにFacebookをやっている人もいるかもしれません。少なくとも、わたしのFacebook友達の中にはいます。「そんなに仕事をしているのか!残業?毎日?」とか思うでしょう。実際本当にそういうコメントをしていた無職の人の投稿を見ました。

インターネットを通して、グローバル化しています。人類のための何ができるか考える人たちが増えて!と願います。あなたが毎日仕事をしていることを公表することによって人類幸せになるのでしょうか??

追記

元ネタ http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1739865.html

履修選抜.死ぬ.jp の開発・運営を今学期で終了します

1年前から 履修選抜.死ぬ.jp というWebサービスを運営しているのですが、今学期でこのサービスの運営はひとまず終了にします。

このサービスについての詳細は以前にも書いたのですが、履修選抜というのは授業の初回に履修希望者に課題を出して履修者を絞る慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス (SFC) の制度で、SFC-SFS(学内向けWebサイト)をクロールして履修選抜通過者の学籍番号を取得しているのですが、僕が来春修士課程を修了する予定でこのサイトにアクセスできなくなるので、終了せざるを得ない、という状態です。当然、このサイトで選抜結果が公表されたことを通知しているTwitterアカウント @SFC_selection も停止します。

SFCは学生の間からキャンパスの学生向けに面白いサービスや企画が出てくることも多いのですが、だいたいそういうものは中心となって作ったり盛り上げていったりする人が卒業したりしていなくなってしまうと一緒になくなってしまうものでした。キャンパス限定SNSだった(らしい)「SFC★MODE」は作った人たちが卒業したあと閉鎖され、Twitterに授業をtsudaる企画「sfcnote」も発起人が卒業してからすっかり忘れ去られてしまいました。無線LANアクセスポイントをキーに近くにいる人とチャットするシステムがあったみたいな話もあったはずですが、もはやちょっとググった程度では名前すらわからないレベルです。ほかにもバス関係とか授業関係とか、いろんなものが作者の卒業によって消えてなくなってしまいました。これらのサービスに比べると履修選抜.死ぬ.jpは全然大したものではないはずなのですが、それでもそこそこの人数のユーザー(現時点で@SFC_selectionには671人のフォロワーがいる)がいることを考えると、終了せざるを得ないのは非常にもったいないと思っています。

僕自身、こういう優れたものやもっとブラッシュアップしていけそうなものが現れては消えていくという状況は、このキャンパスに所属した5年半の間ずっとなんとかならないものかと思っていて、@SFC_wellness はかなり初期の段階から卒業後も動かすつもりで作ったりしていたのですが、SFC-SFSへのアクセスをどうしても必要とする履修選抜.死ぬ.jpだけはそういうわけにはいきませんでした。

誰か周囲の後輩に託してもいいのですが、せっかくSFC-SFS上で時間割が組める便利さを殺してWebサービス運営しろというのはなかなか言えるものではありません。ただでさえ全科目の履修希望登録が必要な上、今学期は、これまで以上にMy時間割の機能が重くなっていて、全科目が掲載された僕の時間割は日中にはまず間違いなく開くことができない状態で、授業を受ける上で必要な情報がSFC-SFS状にあっても閲覧すら難しい状況です。修士課程2年の僕は授業を全く履修する必要がないのでTAする授業の教室がわからなくなる以外には問題ないのですが、学部生にとってこの状況は危機的なものでしょう。

その上、SFC-SFSは学期ごとに微妙なマイナーチェンジが行われていて、毎回少しずつコードの修正が必要になります。SFC-SFSをクロールする部分は sfcsfs という gem になっているのですが、たぶん少しずつ使えなくなっていくはずです。

そういうわけで、3学期間にわたる 履修選抜.死ぬ.jp の運営は、このままの状況では、今学期を最後に終了することになります。もし上記に挙げた状況を理解した上で開発と運営を引き継ぎたいという方がいれば、サーバーのアカウントを発行して引き継ぐつもりですが、けっこう大変だと思います。

本当ならSFC-SFS上での履修選抜結果の閲覧がもっと便利になって、履修選抜.死ぬ.jpの必要がなくなることを期待していたのですが、ユーザビリティ上の改善が全く見られない上に今学期の絶望的なSFC-SFSサーバーの遅さを鑑みれば、それも無理といったところでしょう。

なお、同じようなことをしたい人のために、履修選抜.死ぬ.jpを作るのに必要なソースコードはGitHubに公開してあります。

履修選抜.死ぬ.jpや@SFC_selectionを便利だと言ってくれた皆様、紹介して下さった皆様、記事にしてくださったSFC CLIPの皆様、「死ぬ.jp」を取得するきっかけを作ってくださった @ykf さん、不具合や選抜結果公開情報をくださった皆様、どうもありがとうございました。

背後からパスワードを覗かれるのを慶應義塾大学ITCが妙に警戒している話

慶應義塾大学日吉キャンパスで無線LANに接続しようとして、この手の情報をまとめているITC(インフォメーション・テクノロジー・センター)のサイトを見ていたら、パスワードを入力する場面で背後から画面を覗きこまれてパスワードを盗まれることを妙に軽快していて、なにがそこまで背後を警戒させているのか謎だった。

よくわからないのは、Webで全世界に公開しているパスワードまで非表示で入力させていることで、ふつうにWebページに堂々と書いてあるパスワードをわざわざ非表示にして入力させるのは何か意味があるんだろうか。

セキュリティキーは、非表示状態で入力してください。

keiomobile2(証明書のインストール) | 慶應義塾 日吉ITC

[セキュリティキー]に、" welcome! "を入力して、<文字を非表示にする>にチェックを入れます。

ネットワーク証明書のインストール(Windows 7) | 慶應義塾 日吉ITC

 さらにひどいのは、無線LANに接続するための証明書をダウンロードするページで、証明書のパスフレーズが表示されるのだけど、マウスをかざすと1文字ずつ出てくるようになっている。

f:id:ymrl:20120914210434p:plain

  スクリーンショットを貼るだけだとこの画面のひどさをうまく伝えることができないのだけど、コピペしようとしても上手くいかないので、1文字ずつマウスを黒い部分に持って行っては、表示された文字を元のウインドウに戻って入力するというやり方になる。そんなのめんどくさすぎるので、普通の神経をしてたら適当なメモ用紙とペンを用意してマウスポインタを動かしながら1文字ずつ書き取ると思う。画面に表示されてる文字を覗きこむより手元のメモ用紙を見るほうがパスワードを盗みやすそうな気がするし、パスワードを書きとった紙が必ず適切に(シュレッダーにかけたり破ったりしてから捨てられたりして)処理されるとはとても思えない。こんなふうに覗かれ対策をするのは本当に意味が無いと思う。

ちなみに、パスワードが表示される部分の下にある「iPhone用の画面を表示する」を押すと、普通にテキストフィールドにパスワードがちゃんと表示された画面が出てくる。本当になんのためにこんな対策をしているのか意味がわからない。

正直なところ、パスワードを渡すのがどうしても必要なら、コピペ可能にしてコピーしたらすぐ閉じるようにするのが一番いいと思う。変な細工をしてパスワードを表示する画面を開いている時間が長くなるよりは絶対いいはず。

ところで、このひどいネットワークの下で明日まで展示会を開催しています。お気軽にご参加ください。