いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

嘘を嘘と見抜くこと

ネタ画像の話と関連して。

中国語圏のサイトを見て回って感じたのだけど、中国語が読めないと、中国語のサイトはどのサイトなら情報のソースとして信用できて、どのサイトの情報は信用できないというようなことが全くわからない。日本で日本語のサイトにある程度馴染んでいれば、2chにしか書いてない情報はあんまり信用しちゃいけないと思だろうし、虚構新聞のページとか民明書房からの出典は全部嘘というのは前提知識として持っているので情報の取捨選択ができるのだけど、中国語圏のWebサイトではまずどれが大手の信用できるマスコミなのかもわからない。

ふと思ったのだけど、もし○○新報みたいな名前の中国語で書かれた虚構新聞のようなサイトがあって、多くの中国語圏のインターネットユーザーはそのサイトにある記事は全部嘘だと知っているのだけど、そのサイトにある記事を日本語に翻訳して「○○新報によると〜」みたいな感じで紹介したら、多くの人が本当に中国のマスコミが報じた内容だと信じてしまうんじゃないだろうか。翻訳して紹介する人が中国語は読めるけれども中国語圏のインターネット事情にはそこまで詳しくないみたいな人だったら、起こりえる事だと思う。

そういうわけで、「嘘を嘘と見抜ける」ことは確かに大事なのだけど、「嘘が嘘だとわかるようにする」配慮だって必要なのだと思った。たとえば民明書房からの引用というのはネットスラングとして民明書房が多用されていることを知っていたり「魁!!男塾」を愛読したりしていればたしかに嘘だと思えるはずなのだけど、そうでない多くの人にとっては「そんな本があるんだ」程度に思われてしまう可能性がある。

たぶん多くの日本語で発信をしている人は、「読む人も自分と同じで、日本で生まれて日本で教育を受けた人なんだろう」という前提のうえでやっていると思うのだけど、そういうのは海外の人には通じないし、日本の人にだって通じる保証はない。そういうときに西村博之氏の「嘘を嘘と見抜けない人には(掲示板を使うのは)難しい」を引用してくる人は、無意識のうちに自分と同じような育ち方をしてきた人以外を否定してしまっていて、暴力的だと思う。

いちおう念の為に書いておくと「嘘を嘘と」を発言した西村氏を非難するつもりはありません。本来の文脈をはなれて、「情強」の人たちの錦の御旗のように使われていることは問題だと思います。

インターネット上の嘘だとわかりにくいような嘘を信じてしまったりマジレスしてしまったりするのは仕方がないことだし、それに対して「情弱」とか「嘘を嘘と(ry」とかバカにするのはそろそろやめた方がいいと思う。そんなことよりも正しい情報を伝えることのほうが大事なはずだし、嘘の情報が嘘であるということを表明する必要がある。

……と、ここまで情報を発信する立場について書いたけれども、一方で受け取る側には「嘘を嘘と見抜く能力」より「インターネット上の情報なんてどこまで信用できるかわからないんだから真に受けない能力」というのが求められているというのを忘れちゃいけないはずですよね。