いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

ほぼ完全自炊生活が4ヶ月目に入った

ごはんをつくるほうの自炊のお話です。

学生さいごの春休み中に海外に行ったりいろいろしすぎた結果4月から5月にかけてものすごく金欠に陥っていて、その結果として外食や弁当を控えて朝昼晩すべて自炊するようにして3ヶ月が経った。いまでは平日は飲み会とかがあるときの晩ご飯と、夜も朝もだるくて弁当が作れなかったときを除けば完全に自炊です。もともと学生時代からけっこう自炊をしていたのだけど、ここまで連続して自炊しているのは初めてな気がする。

ふだんの生活

夜はあまりたくさん食べないようにして、朝と昼(弁当)をちゃんとしたものにするようにしている。上手くできてない時も多いけど。

夜の帰宅時間が21時とか22時くらいなので、その時間からご飯を炊けるのを待つのも嫌だし、夜に炭水化物を摂らないほうがいいとも聞くので晩ご飯は米を炊かずにおかず中心にする。だいたい、スープとサラダとおかず一品みたいな組み合わせが多い。そしてスープやサラダを作るときはたいてい2人分みたいな感じで作って、半分は翌日の朝ごはんに回す。

http://instagram.com/p/Z7_RzroHLU/

どうしても炭水化物が食べたいときや、品数を揃えるのがめんどくさい時は麺類にする。米を炊くのには40〜50分くらいかかるけど、麺類だとお湯が沸騰してから10分くらいで茹で上がるので、沸騰するまでの時間を加えると15分くらいになる。その間にパスタソースやつゆや付け合せを準備できれば米を食べるときの半分以下の時間で全部揃えられる。パスタの場合はパスタソースに野菜とか肉が入るのでそれなりにバランスの良い食事になる。うどんやそばの時は肉を入れたりサラダをつけたりする。

http://instagram.com/p/avhH55IHJH/

ご飯を食べたあとで洗い物をしつつ、翌日の昼に食べる弁当を作る。作るといってもだいたい冷凍食品と作りおきのおかずとサラダの余りを突っ込むみたいな感じなので、弁当作りのうち最も手間のかかる作業はどのおかずをどう配置するかを考える作業になる。

作りおきのおかずは、時間があるときにひと鍋ぶんつくった切り干し大根の煮物とかひじきの煮物をアルミカップに小分けにしてタッパーに入れて冷凍してある。弁当に入れるときはこれを解答したりせずにそのまま弁当箱に入れておく。朝に弁当を詰めるときでも室温で2〜3時間後には問題なく自然解凍されているので問題ないと思う。

失敗したのはアルミ製のカップをたくさん買ってしまったことで、プラスチック製のものにしておけば弁当箱をそのまま電子レンジに入れて温めることができるのに……と思っている。

おべんとケース チェック4色セット 6号 84枚入

寝る前にお弁当に入れるぶんの米の炊飯タイマーをセットしておいて、翌朝に炊けているのを弁当箱の下の段に詰めて弁当は完成。

朝ごはんは最も適当で、とにかく前日の残りのサラダやスープがあるときはそれに加えてトースト、ないときはトーストだけみたいな感じになる。

たぶん平均的な成人男性より圧倒的に食べる量が少ないけど、これに慣れてしまったし、足りないときには夕食を増やしたりしているので十分だと思っている。

既成品を使う

惣菜や冷凍食品やインスタント食品を使った場合には自炊と呼ばないという人もいるかもしれないけど、ある程度は積極的に取り入れないとしんどいし、そういうこだわりは捨てたほうがいいと思っている。

たとえば弁当に入れるコロッケとか春巻みたいなおかずは、だいたい5個とか6個で148円とか198円で売っているし、家で揚げ物をするのはすごくめんどくさいので重宝する。揚げ物をするならやっぱり揚げたてを食べたいし、弁当に入れるのなら冷凍で十分だという気持ちもある。味もふつうに美味しい。

晩ご飯のメニューにはよく既成品の生餃子を使っていて、がっつり食べたいときにはこれを焼いて食べている(そして2個くらい翌日の弁当に入る)。外側に打ち粉がまぶしてあるタイプなら上手く焼ければちゃんと羽根つき餃子になる。

http://instagram.com/p/aGWnjPoHMd/

いわゆるお惣菜になると割高な感じがしてしまうのでポテトサラダ以外はあんまり買わないのだけど、売れ残って20%引きなんかになっているときには喜んで買っている。そのままで食べることもあるけど、一手間加えて、たとえばトンカツを卵でとじてカツ丼にしたりすると幸福度が高まる感じがする。

スーパーの使い分け

職場には自転車で通っているので、帰りにけっこう遠くのスーパーにも寄っている。日常的に使っているのはコンビニくらいの規模の小さいスーパーと100円ローソンだけど、だいたい品揃えに満足できないので週2〜3回は職場とは反対側にあるスーパーにわざわざ行ったり、結構離れた肉のハナマサに行くこともある。近所に高級なスーパーもあるのだけど、低所得者なのであまり買い物したことがない。

各スーパーの特売日とか惣菜が値引きされる時間とかをなんとなく把握しているので、退勤時間に応じて上手く安く買い物できそうな店を選んだりしてる。

1度に買う量

学生時代は自炊をする間隔がまばらでけっこう余った食材をダメにしてしまっていたのだけど、毎日自炊するようになって比較的その問題は解決した(それでもたまにやってしまうけど)。

ファミリー層向けのスーパーだと、だいたい生鮮食品は3〜4人分くらいの量のパッケージと1〜2人分くらいの量のパッケージで売られていて、余程のことでもない限り前者を買うようにしている。1〜2人向けの量で買うのはだいたい割高だし、どうせ野菜なら1週間くらいまでならなんとか持つので、いざとなれば一気に炒めて適当に味付けして食べられる分だけ食べて残りは冷凍するつもりでいればなんとかなる。自分が今日食べる分の2〜3倍くらいまでが買う量の適正量と考えるのがちょうどいいと思う。

その日食べるものを考えながら買い物にいくわけだけど、そのときだいたい冷蔵庫に何が残っているのかを考えながら献立を決めるので、前日の残り物にその日買ったものを加えて料理を作り、その日買ったものと次の日買うものが合わさって次の日の料理になるというサイクルになる。これを続けていければ割高な少量パックを買う必要もなく、多めに買った食材をムダにすることもなく続けていけるはず。

レシピの使い方

このブログを読んでいる人はだいたいインターネット強者だと思うので、料理のレシピといえばクックパッドが思い浮かぶ人ばっかりだと思うのだけど、クックパッドのレシピは必ずしも便利ではないなあというのが正直なところで、特に自炊初心者は気をつけたほうがいいと思う。クックパッドにあるレシピの大半はプロではない普通の人が投稿しているので、レシピの質はピンキリだし、書き方も不親切なことがけっこうある。ある程度料理の経験がある人にとっては、いろんな人のレシピを見比べたりできるし自分のレシピを投稿できるし便利だと思う。

レシピ通りのものを絶対に失敗せずに作りたい場合は、今日の料理のサイト味の素のレシピ大百科を見たほうがいいと思う。味の素のレシピ大百科は味の素がやっているので、レシピに味の素製品が書かれているけど、他者の同等品があるものは同等品を使って問題ないです(当たり前)。

レシピを見ながら料理を作るときは、料理を作る前、できれば買い物に行く前に手順をぜんぶ読んで、頭のなかで自宅のキッチンでどういう作業をするのかイメージしてからとりかかったほうがいい。あとは「火を通してあって味がある程度バランス取れてればとりあえず食べられる」くらいの気持ちを持つことが大事。

変な料理をつくる

辛い料理が好きなので、やたらと麻婆豆腐とか汁なし担々麺を作ってる。汁なし担々麺はかなり楽なメニューで、ニンニクと花椒と豆板醤と芝麻醤を油で炒めて酒と醤油を加えたタレと炒めた挽肉と刻みネギをゆでたうどんの上に載せて担々麺と言い張っている(このレシピで合っているのかは知らない)。花椒とか芝麻醤はちょっと手に入りにくい材料だけど、手に入れてしまえば日持ちするし、挽肉とうどんとネギは手に入りやすいのでお手軽メニューになる。

http://instagram.com/p/ZQQfcBoHFR/

このあいだは輸入食品店でフォー・ガーのスープの素と麺を買ってきて2日連続で食べた。このスープの素もたぶんあと4回分くらい残っているし、麺はうどんとかそうめんでも代用が効くので鶏肉とか適当な野菜があればまたフォー・ガー(っぽいもの)が食える。

http://instagram.com/p/a8YgX8IHIu/

都会に住んでいてもこういう料理を夜11時に突然食べたくなったらなかなかありつくのは難しいのだけど、ありあわせのものでそれなりに近いものを工夫して食べられるというところはやっぱり自炊のメリットかなあと思います。

追記 (2013-07-03 23:53)

ブックマークコメントに返事を書きます。

餃子に関しては自分で作ったほうが確実に美味いし安くつく 大量に作っても冷凍すればいいだけだし

http://b.hatena.ne.jp/uduki_45/20130702#bookmark-152616578

そんな気はしてるんですが、冷凍庫の容量が……。できあいの生餃子はスーパー3店舗で売ってるものを試して、一番美味しいものと一番コストパフォーマンスの高いものを選定してあります(最終的には気分で決めてる)。

ご飯は炊き立てを1食分ずつ冷凍保存しておけばいいんじゃないかしら。

http://b.hatena.ne.jp/Beirii/20130702#bookmark-152616578

これもやっぱり冷凍庫の容量の関係で……。これから一人暮らしをして自炊もする人には可能な限り冷凍庫のデカい冷蔵庫をおすすめしたい……!!

cookpadは実験でいうと研究者の殴り書きプロトコルで、今日の料理とかは追試がんがんされてる書籍にも収録されてる実験法みたいなかんじだよね

http://b.hatena.ne.jp/tetzl/20130702#bookmark-152616578

その通りだと思った。ただし情報として公開されていることにものすごく大きな価値があるので、使い方をわきまえてどんどん活用したいですね。

敢えてどこの誰がとは書かないけど、この記事に対する反応として「たかだか3ヶ月くらいで偉そうに、主婦はウン十年やってる」みたいなものがあったのが、予想ができていたとはいえちょっとショックだった。偉そうに見えてしまったとしたら申し訳ないのだけど、ただ自分が今こういう生活をしていて、それが3ヶ月続いたということを記録したくて、さらにそこで得られた知見が誰かの役に立てば嬉しいくらいのつもりで書いています。ウン十年と毎日料理を続けている方には本当に頭が上がらないです。

元ミニモニ。のミカ・タレッサ・トッドさんがシーシェパードだという(たぶん)デマ情報について

Twitterでこんな発言が流れてきたのが気になった。

シーシェパードといえば高速船で捕鯨船に体当たりしたり酪酸の瓶投げつけたり妨害活動をしている環境テロリストとして知られる団体だし、元アイドルの女の子がそんなことやってたら善悪を抜きにしてかっこよすぎる。そういう漫画を読みたい。ぜひ映画化してほしい。

ところがちょっと調べてみると、この情報のソースはどうもこのへんっぽい。

f:id:ymrl:20100411111234j:plain

痛いテレビ : 元ミニモニ。のミカさんがイルカ漁反対署名始めるより引用

ソースとして示されている画像はFacebookのキャプチャーだけだし、FacebookのプロフィールURLも書かれていなくてそもそも本人によるものなのかも疑わしい。2chのログにはFacebookのURLが書かれているけれども、アクセスできなかった。

署名を呼びかけているという部分の英文は途中で省略されてしまっているけれども、以下のとおり

Hi guys! Please sign this petition to help stop the brutal dolphin killings in Taiji, Japan. I've heard about this but was in slight denial that Japanese people whould do such a thing. After watching "The Cove", I've realized that it is our responsibility to spread the word. Being half Japanese, I can assure you tha...

同名の署名活動はこの記事で紹介されているけれども署名活動自体は終わっているらしく、途中に書かれているURLにアクセスしても情報を得ることはできなかった。これを見る限りでは、ミカさんが始めたというよりも、Facebookを利用した署名活動サービスへの参加を周囲の人に呼びかけているというように見える。これだけで「署名活動を始める」みたいな、率先して反捕鯨活動家になったような書き方をするところには悪意すら感じる。

さらに、「シーシェパードの一員」「日本を批判しまくっている」という情報の確証については全く得ることができなかった。なんとなく、「反捕鯨の署名をよびかけたらしい」という情報がだんだんと変化してこんなことになったんだろうな、というようには思える。しかし 反捕鯨=シーシェパード=敵、みたいな考え方は、児童が性の対象になっているという理由でエロ本を取り締らなければいけないというのと大差ないと思う。

ちなみに、本人(と思われるTwitterのアカウントの人)はこの春に日本に滞在していたようで、東大寺の写真京都の桜の写真をInstagramにアップロードしている。

ミニモニ。ジャンケンぴょん! [DVD]

追記 (2013-05-31 11:40)

「痛いテレビ」が「シーシェパードだとは言ってない」という記事を書いてる

このあたりとか、うちの3年前の記事の画像を使ってると思うんですが、イルカ漁の反対をしてるとは書きましたが、シー・シェパードなんて一言も書いてないですよ。 元ミニモニ。のミカさんがシー・シェパードに加入というデマが広がる

あと、冒頭で引用したツイートをした人はツイートを削除した模様。

節約生活を特集するTV番組を見て子どもがかわいそうに思えた

たまたまTVで夕方のニュース番組を観ていたら一家6人が生活費を月7万円に抑える節約生活というのを紹介していて、 その内容があまりにも衝撃的だった。 番組で紹介されていた家族は15年前に床暖房やジェットバスを備えた豪華な一戸建てを建てるも、 住宅ローンの支払額が上がるのを機に極端な節約生活をはじめて、30年ローンをわずか7年で返済して、その後も節約生活を続けているという。

その節約生活ぶりは徹底的で、特売品を買い込んで一気に食べてしまうので冷蔵庫には電気が通っておらず、 ガスも通ってないので10時間かけて風呂釜保温用の電気ヒーターで沸かして蓋をしたまま全員が順番に入る*1。風呂の残り湯はタライで十数回も汲んで洗濯に使い、さらにその排水はトイレを流すのに使われる。料理は電気鍋で大皿料理を1品だけ作って、食後に鍋底に残った肉や野菜は翌日のパスタやスープの具になる。極力文明の利器に頼らない生活を実現するために携帯電話もなく、あるのは電源いらずのダイヤル式の電話器だけ、照明器具も外してあって9時には消灯するらしい。暖房器具はコタツだけだし、しかもこれも電源はつながっておらず中には湯たんぽが入っている。男は全員庭先でバリカンを使って丸坊主で、女性もたぶん美容室には行ってない感じだった*2。 この家の夫婦はふたりとも元漫画家で、奥さんは節約生活のエッセイ漫画を発売したばかりだという。たぶんこちらを読めばどんな節約生活をしてるか詳細がわかると思う(読んでない)。

びっくり節約生活! 一家6人+1(プラス ワン) 月7万円

特集をみながらあまりにストイックな節約生活に若干ドン引きしていたのだけど、この家の長男がこの春めでたく大学入学が決まって、入学式に着ていくスーツとして出てきたのが、お父さんが成人式のときに買ってもらったスーツだというところでもう限界だと思った。大多数の大学新入生男子は黒や濃紺のスーツを大学入学にあわせて新調するか、そうでなくてもちゃんとサイズの合ったものを着てくるだろう。そこに浅いグレーで胴はぶかぶか、袖は足りないなんていう状態の人がいたら確実に浮く。

大学入学からしばらくの時期というのは、大学の中で人間関係を作る上でそれなりに重要な時期のはずだ。もしかしたら入学式の時点である程度人間関係を構築するようなイベントが用意されているかもしれない。そこでそんな明らかに他と違う格好をしていたら、きっと何か家の事情とかがあるんだろうという先入観を持たれてしまう。少なくともサークルやコンパや遊びには誘われづらくなるだろう。 しかも、紹介されていた節約生活から察する限り、彼はケータイも持っていないと思われる。現代の10代20代にとってケータイを持っていないというのは、それだけでコミュニケーションの障壁を高くしてしまうはずだし、アルバイトとして働く場合にも支障が出かねない。彼の大学生活のスタートが本当に心配になった。

別にお下がりのスーツをもらって着ることもケータイを持ってないことも、決して悪いことだと言い切れるわけではない。しかしおそらく金銭的にそこまで余裕がないわけではない(少なくとも一戸建てを所有してローンも完済している)家庭なのに、親があまりにも子どもが社会生活を行なう上で重要なものへの投資を怠りすぎているように見えるのは問題だと思う。きっと親は「子どもが『いらない』と言ったから……」ということを言うのだけど、親が「いらない」と言っているものを子どもが「欲しい」とはなかなか言えないと思う。

ここまで長男について書いたけれども、その下の高校1年生の長女についてはもっと深刻に思う。女の子同士のほうが多くの場合異質な子の存在に敏感だし、クラスの中で孤立していないか本当に心配している。どうかこの夫妻にはもう少し自分たちの節約方針が家の外での子どもの生活へ与える影響について考えて直してほしいし、子どもには親の方針を客観的に見る力を身につけて強く生きてほしい。

秒速で1億円稼ぐ条件

*1:これに関しては10時間の間に相当熱が逃げてるだろうしこんな保温用の弱いヒーターを使うんじゃなくてふつうに湯沸し器を使ったほうがいいと思う

*2:少なくとも今風の雰囲気ではなかった

「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から

東京都下、新宿まで電車で40分かからないところに住んでいた。 大学の近くに住むために引っ越した先は都心からは少し離れて、新宿まで電車で50分以上かかるようになった。 それでもアマゾンは当日お急ぎ便でなんでも届けてくれるし、トーキョーバイクもルイガノもときどき走っている。 小学生のころには幕張メッセまでミュウを貰いに行った。

それでもあれは「田舎」だと思う。 地方出身者からすればその態度が許せないのだろうけど、僕らは僕らなりに都心に対してコンプレックスを持っているし、 だからこそ自然と「私が住んでるところは田舎だよ」が出てしまう。

僕の実家はいわゆるニュータウンの中にあって、その住民の大半は都心に通勤する人たちで、毎朝電車に乗って都心に通勤していた。 そういう場所なので、都心に行って遊びたいと思ったら、ランチを我慢する程度のお金と往復の数時間を代償に都心に行くことができる。 テレビは関東一円同じものが放送されていて、そこで紹介されているもののほとんどは都心だし、その一方で地元の情報はほとんど流れない。

たしかに必要なものはなんでも手に入るけど、クラスのみんなと違うものはぜんぶ都心にあった。

何年か前に僕の実家の近くの小学校の女子児童が渋谷に出かけているときにデートクラブを経営する男に監禁される事件が起きた。 あのときなんで小学生が渋谷に、なんでデートクラブにという声があったけど、僕にはその理由はよくわかる。 雑誌やテレビに載っている最先端の街まで行くのにジュース2本我慢すればいいだけなのだ。 ただし、そこで最先端のモノを買ったり最先端の体験をしたりするためにはお金が必要になってしまう。

大学に入ると、また違った意味で都会が羨ましくなる。 それまでほとんど同じような境遇の人しかいない世界にいたのに、「都会っ子」という新しいジャンルの人と接することになる。 僕にとってはインターネットで関わる人たちもそうだった。 都会っ子と飲んでいると、自分だけ終電があるから23時ごろまでに抜けないといけない。 都会っ子が深夜にお腹が減ってラーメンを食べに行った話を聞くと、自宅の周りに深夜でも開いてるラーメン屋が無いことに気づいてしまう。 「電車が止まってて歩いて帰った」という都会っ子の話を聞きつつ、自宅から隣駅まで歩くと1時間半はかかるなとか考えてしまう。 電車に乗れば都会まで一本とはいえ、家から寝間着のまま歩いていけるような範囲にはコンビニすらないし、 鳴り物入りでオープンした大きなショッピングモールには車でなければ行けない。

だから、「私が住んでるところは田舎だよ」という言葉が出てきてしまう。 いくら都会に近くても、最先端のおしゃれなスポットに行くには2時間近くかかるし、毎日毎日の体験一つ一つが都会っ子とは全く異なる、すべてがダサくて垢抜けなくて不便なものに感じられてしまう。 地元はおじさんおばさんおじいさんおばあさん用のものばかりだし、ショッピングモールまで車で行っても、どこでも買えてみんなが持ってるようなものばかりが並んでいる。

一度都会の空気を吸ってしまうと、もうそれだけではダメなのだ。 だからこそ「お前たちは恵まれている!」と言われても、「でも私の地元はやっぱり田舎だから」という噛み合わないやりとりになってしまう。郊外育ちにとっては郊外育ちなりに都会は羨ましいものだ。

追記 (2013/01/17 9:23)

つまりこういうことです

関連

修士論文を提出しました

先日、無事に修士論文を提出しました。 あとは最終発表さえこなせば、修士(政策・メディア)という謎の肩書きをゲットできるはずです。 研究の内容などについてはいずれちゃんと紹介することにして、このエントリーでは学生生活を振り返る感じのことを書きます。

大学院に入った理由

大学院に入ったのは、「シューカツしたくなかった」というのと「まだ勉強不足だと思った」というのが理由だった。

もともと、大学を卒業したら何をしようとか考えが及ばなくて、 情報系の研究室にいたしインターネット漬けの生活をしていたので、 漠然と「まあWeb関係の仕事をするんだろうな」くらいにしか考えていなかった。 働くことに対する意欲もあまりなくて、できれば働きたくないしお金も生きていける程度にあればいいや程度に考えていた。

当時は今よりずっと鬱屈とした性格をしていて、ただひたすらシューカツを否定的に捉えていて、 「シューカツしたくないなー」とか思っていたらいつの間にか同期のひとたちがシューカツをする時期になっていた。 没個性的なスーツを着て没個性的なプロフィールを書いてとにかく周囲に合わせて行動するというのが本当に嫌だったし、 シューカツを理由に授業を休む人がたくさんいるのを見て、こんな自由のない生活になるのは嫌だと思っていた。 加えて、当時は「意識の高い学生」みたいなキラキラした人たちに対して必要以上に激しい憎悪を抱いていて、 そういう人たちが「学生時代に学生団体のリーダーシップを云々!」みたいなことをアピールしてるところに行きたくなかった。 そういうアピールが有効にはたらくような場所では根暗でインターネット漬けの僕は絶対に負けるし、そんな土俵に立ちたくなかった。

学部の頃、同期のなかではプログラミングができるほうだったのもあって、 もしそういうキラキラした人たちに勝てるとしたらプログラミングしかないと思っていた。 ところが、その腕前もまだキャンパス内で上位のほうというだけだった(と当時は思っていた)。 僕のいたキャンパスは日本のインターネットの父がいたりするし、 学生はPCを持ち歩くのが普通だし、世間的には情報系に強いイメージだと思う。 ところが実際はそうでもなくて、まあ必修科目だからプログラミングはするけど、 Hello worldしてwhile文が書ければそれで終わりという人も多いし、 研究室も情報系とはいえガリガリとコードを書く感じではなかった。 そういう環境で育っているので、周りの技術力は信用できなかったし、 そんな集団の1人である自分の技術力も本当に通用するものなのか疑わしかった。 一方でインターネットで見かけるガチの情報系学部や高専生の人はあまりに技術力が高すぎて、 とても敵う気がしなかった。

今思えばそこまで気にすることではなかったのだけど、 当時は「今のままプログラマーとして就職したら死ぬか殺される」くらいに思っていた。 Webサービスやソフトウェアを作っている人たちは本当にものすごい力を持っているように思えたし、 そういう力も無しに就職なんてしたら地獄の研修で殺されるかしかないと思っていた。

そういうふうに考えると、大学院に進学したのはほとんど逃げだった。 シューカツも地獄のような研修も嫌だし、それを逃れる力を持っていなかった。 そういう状態だったので、研究それ自体へのモチベーションは元々そんなに高くなかったのかもしれない。

研究のこと

そもそも、2年生のときから研究会(ゼミ)にいたのに、 学部の最後のほうまで研究というものが何なのかいまいちわかっていなかったような気がする。

僕が学部に入学した2007年度は、大学のカリキュラムが大きく変わった年だった。 それまで任意だった研究会と卒業論文は卒業に必要な科目ということになったし、 そのせいなのか、僕が一般入試で出された小論文の問題は「あなたが教授だったらどんな研究をしますか」というもので、 資料は2007年度からの授業のリストだった。 1年生のときには先生たちが自分の研究を週替りで紹介するような授業も受けさせられた。 その変化と、変化を迎えた先生たちの熱意もあって、当時は否応なしに「研究」を意識させられた。

ところが、その「研究」が具体的に何なのかはあまり説明されなかった。 もしかしたら毎回1限に開講されていた授業だったし、だるくて毎回寝ていたせいで聞いてなかっただけなのかもしれないけど。 どの先生も、自分のプロジェクトで作ったものであるとか、TVで紹介されたときの映像であるとかを紹介するのだけど、 では研究者というものが普段どういうことをして研究生活をしているのかということは全く説明されなかった。 論文とか学会のこととか、この研究者がこういう理由ですごく偉いとか、そういう話はほとんど知らないままだった。

そんな状態で2年生になるとき、研究会を履修しなきゃいけないという意識になって、研究会を選んだ。 選んだ基準はWebサイトに研究成果として載っている作品が面白かったことと、 候補にしていたほかの研究会と比べておしゃれっぽいことをしていたこと、 そして昔使っていたソフトの作者がいたことだった。

普通の研究室だと、先輩が後輩の面倒をみる制度が確立していたり、先生がテーマを提案してくれたり、先輩のテーマを後輩が引き継いだり、 プロジェクトをグループで進めていたりしているみたいだけど、 僕の入ったところはそういう仕組みが一切なくて、個人がやりたいことをやりたいように進めていた。 おかげで好き勝手に自由なことができていたけど、学会とか論文みたいな具体的な目標もなくて、曖昧な進め方をしていた。

研究会ではいろいろとプログラムを書いたりしていたけど、どれも研究とは言いがたいようなものばかりだった。 学部の4年生になって、英語の論文を読んだり自分で学会投稿論文や卒業論文を書いてから、 ようやく論文というものがどういうものなのか、なんとなくするようになった。

大学院生活

大学院に入る直前の2011年3月11日、東日本大震災が発生した。そのせいで授業の開始が1ヶ月先送りされた。 この1ヶ月のあいだ、何かもっとためになる行動を何かしていればよかったのに何もしていなかったのは大学院生活でいちばん後悔するべきだったと思う。 毎日寝て過ごして、起きたら夕方だったなんていうこともよくあった。

1ヶ月のニート期間が終わると、怒涛の授業が始まった。 1ヶ月休みだった部分をカバーするために、1ヶ月に1回か2回は日曜日に授業があったし、 当時はバイトの掛け持ちもあったので、心休まる日が2週間に1日なんていうこともあった。 この学期は本当にまともな研究をしていなくて、 もし2011年3月からやり直せるのならここでバイトの掛け持ちとか断ってちゃんと研究活動をしたいと思う。

大学院で一番よかったのは、大学院のネットワークの管理運営に関わる仕事をできたことで、 このおかげで情報系のほかの研究室の友達ができたし、 なによりそれまで自己流だったサーバーやネットワークの管理のちゃんとした知識が得られた。 僕の研究室は情報系としてはゆるふわな感じで、ほかの情報系の研究室からは若干孤立している感じがあって、 本当にガチ情報系の人たちと知り合う機会はほとんどなかった。

2011年の秋学期には、後輩の学部生の発言を見て学内向けのWebサービスを作った。 これは2012年の秋学期まで稼働させた。

とはいえ、研究のほうはあんまりパッとしなくて、 修士1年のころの論文は0本だったし、自分でもまともに成果が出ずに悶々としていた。 震災のせいで出鼻を挫かれたという気分もあるけど、これは正直に自分のせいだと認めざるを得ない。 修士2年になってようやく修論のテーマが定まって、やっと研究らしくなった。 今年は修士論文以外にも論文を2本書いたし(1本は第2著者だけど)、もっと早くこういうモードに入るべきだったと思う。

学生生活の終わりに向けて

10月の頭に、それまで住んでいた大学の近くの家を引き払って都内に引っ越した。 卒業後は現在のバイト先でそのまま働くことになって、会社の近くに住んで半年間はそこから学校に通うことにした。 あたらしい家から学校まで2時間近くかかるので、週1回か2回は学校に泊まるような生活をして、 そのために研究室の僕の席の後ろにキャンプ用のベッドを常設して、 修士論文を書く頃には鍋とかザルとかの簡単な調理器具も持ち込んだ。

大学の近くの家は、新宿まで出るのに1時間半近くかかるような場所で、 生活に不便はないけど動きまわるのにはいろいろと不便だった。 なにより、深夜まで学校で作業してそのまま朝まで研究室で寝ているなんていう生活をするのであれば、 わざわざ学校の近くに住んでいる必要がなかった。 中途半端に都心に行けてしまうような場所に住んでいると、都心に行くような用事も案外多くて、 そのたびに1時間以上電車に乗って片道500円以上のお金を払うのが嫌だった。 定期券さえ買ってしまえば、学校以外の用事はほとんどが都内だし都内に住んでいる方がいろいろと都合が良かった。

10月の中間発表が終わって、修士論文の執筆に向けて、とりあえず学部のときに同期が作った卒業論文のテンプレートを修正して修士論文のテンプレートを作った。 修士論文はGitHubにPrivate Projectを作って管理して、大学院の同期3人でお互いをCollaboratorにして進捗を共有した。 12月の半ば頃からは、いつでも誰かしら大学に泊まっているような状態で進めた。 最終的に僕の修士論文は70ページを超えた。

修士論文を提出したとはいえ、まだ最終発表は残っているし、 これから2つも学会に出ることになっているので一段落というだけでしかない。 まだまだいろいろとやることがある。

大学院に入って何が学べたかというと、まだいまいちわからなくて、 なんとなく2年間を過ごしてきてしまったような感じはする。 ただし学部生の頃と現在とで一番違うのは、あの頃は自信もなく働くことにもネガティブだったことで、 今はとりあえず自分が何をできるのかわかっているつもりだし、それが生かせそうな場所も見つけている。 そういう意味で大学院の2年間は無駄ではなかったと思う。 とはいえ、大学を出たあとの2年間を、現在の大学生全員が大学院で過ごして幸せになれるとはとても思えないし、 正直なところ、何も考えずに誰に対しても進学を勧められるというわけではないように感じている。 やっぱり、何かを探求するようなことが好きで、それに向けて自分から動けるような人でないと2年間を無駄にしそうな気がする。

研究という行為自体に対する気持ちも薄れたわけではなくて、 むしろ大学院生活の終わりにさしかかるにつれて楽しくなってきてしまったのだけれども、 とりあえずしばらくは別のことをしてみるのがいいかなと思っている。 博士課程を勧められることもあるのだけど、今はそれをするときではない。 とりあえず今は修士課程の卒業までのことしか考えられていなくて、 卒業後に就職してどういう生活をしていくことになるのかまったくわかっていない。 博士課程は3年かかるし、3年間の生活といろいろな活動と、 それで得られるものを天秤にかけるにはまだ早い。

ひとまず、これから先の活躍に(ほどほどに)ご期待ください。

突然ですが、なにも考えずにFacebookで仕事の話題の投稿を毎日のようにしている方々に言いたいことがあります。

あなたのFacebook友達の中に、就職活動をしても職に就けず、仕事にありつくチャンスを得るためにFacebookをやっている人もいるかもしれません。少なくとも、わたしのFacebook友達の中にはいます。「そんなに仕事をしているのか!残業?毎日?」とか思うでしょう。実際本当にそういうコメントをしていた無職の人の投稿を見ました。

インターネットを通して、グローバル化しています。人類のための何ができるか考える人たちが増えて!と願います。あなたが毎日仕事をしていることを公表することによって人類幸せになるのでしょうか??

追記

元ネタ http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1739865.html