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いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

ネットの地続き感

ネットの向こう側とこちら側はよくも悪くも地続きだなあと思うし、ネット上で行動するにはそういう感覚を持っていることが大事じゃないかなあと思う。

テレビは多くの人にとって、画面の中の世界に芸能人という人種の人達がいて、歌ったり演じたりおしゃべりをしている、というもので、あまり現実感のないもののはず。芸能人の人たちは自分たちとは違う種類の人間で、そういう自分とは一生交わらないだろう人達が違う世界でやりとりしているのを自分は液晶画面を通して見ているという感覚だと思う。テレビのこちら側にいる僕たちはつねに安全で、自分が見られる側に回ることはぜったいにない。

周囲の大多数の人たちのインターネットとの関わり方をみていると、どこかテレビっぽいなと思うところがあって、Wikipedia2chまとめサイトを見てる人はたくさんいるのだけどWikipedia2chに書き込んでいる人はほとんどいないし、検索でヒットしたQ&Aサイトの解答は参考にするけど自分で質問したり解答したりはしないし、ただ話題になっていたりたまたま見つけたりしたページを読んで一喜一憂して、SNSで紹介するぐらいしかしない。ブログやSNSの自分のページは自分のことをリアルで知っている人しか対象にしていなくて、Twitterは@をつけたmentionでの会話しかしていない。まるで、知らない人たちの使っているインターネットはテレビの画面の向こう側で、ブログやSNSはテレビのこちら側というような感覚で使っている。

そういう使い方が悪いと言うつもりはないのだけど、そうやってネットの向こう側とこちら側が地続きだという感覚が欠けたままネットを使うのは、もっとインターネットを活用したいと思っているのならもったいないことだし、場合によっては危ないことも起こりえるのでちょっと心配に思ってしまう。

よく、ネット上で匿名の議論がうんぬん、みたいな話題になると「面と向かって言えることだけを言え」とか「自分は匿名のくせに顕名の人にひどいことを言うなんて」というような主張をする人が出てくるのだけど、これってまさにネットの地続き感覚の話だと思う。テレビに出ている芸能人は、実は全国の液晶画面のこちら側から絶えずブサイクだのバカだの言われているのだけど、その声は液晶画面の向こう側に届くことはない。ところがネットではこちら側と向こう側が地続きなので、友達とか自分と同じような意見を持ってそうな人たちだけに対して言ってるつもりでも、向こう側に簡単にリーチしてしまう。

しかも、向こう側にいる人というのは必ずしも芸能人だけじゃなくて、ふつうの人がその表舞台に立つということも、わりと簡単に起きてしまう。意図して立つこともできるわけだけれども、ふとしたきっかけでそういう舞台に立たされてしまうことも多い。とつぜん自分のTwitterでの発言が、拡散されることなんてぜんぜん望んでいなかったのにRTされて広まってしまうなんてことは日常的に起きている。

たぶん、いわゆる炎上事件なんかで心ないコメントをしたりする人たちは、悪意を持っている人ももちろんいるのだけど、大半の人はそこまで悪意を持ってないんじゃないかという気がしている。テレビのワイドショーをみながらお茶の間で「けしからんなあ」とか「こんな奴死刑にすればいいのに」なんて話をしたり、街頭インタビューにそういうふうに答えたりする程度の感覚なんだと思う。そういう人達にとってきっと、炎上のやり玉に上がっている人は、芸能人とか容疑者とかと同じような、とにかく自分とは全く接点のない世界の自分とは違う種類の人間なのだ。

ネットの向こう側とこちら側が地続きなのは、悪いことよりもいいことのほうが多くて、僕はネットのおかげですごい人にも面白い人にもたくさん知り合えたし、こうして考えていることをいろんな人に読んでもらえるチャンスも得ている。地続き感覚というか、フラットさの感覚というか、そういうのがあるだけでネットはどんどん楽しくなるんじゃないかなと思う。