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いんたーねっと日記

141文字以上のものを書くところ

「意識の高い学生」ということば

「意識の高い学生」ということばが「リア充」なみに意味のあやふやな言葉になっている気がするのでいろいろと調べたことをまとめたり思う所を書いておきます。

僕の周囲では「意識の高い学生」という言葉は、2010年の秋ごろから爆発的に使われるようになったと思います。たぶんそのきっかけは「意識の高い学生bot」でした。

努力すれば意識は高くなる。そう実感したのは、小学校二年の頃。はじめて竹馬に乗れた時、ものの見方が完全に変わった。

https://twitter.com/omaehikui/status/9394154849173504

このbotについては『なぜ「意識の高い学生」は人の心を動かしたか』という記事にまとめられていて、「意識の高い学生」という概念についても自身の体験を踏まえながらしっかりと考察されています。

このbotがウケた人は、アカウントを見る限り学生が多いようです。
特に大学3、4年生、つまり就活を体験し意識している世代。
皮肉対象である『意識の高い学生』が集中している世代でもあります。

彼らは、僕を含めてですが、就活で多くの学生に出会いました。
いろいろな人がいました。
その中には、「超就活してますオーラ」をむんむんに出している人も少なからずいるわけで。
そんな人達を、僕らは尊敬する一方、あまりの「学生らしくなさ」に「何やねんアイツw」と冷めた目で見ていたのではないでしょうか。

思春期の子供が大人ぶりたいのと同様に社会人ぶった(しかも勝手なイメージ)学生を滑稽に感じていた。

その土台があったからこそ、
このbotが「そんな奴いるいるww」と、
ある種のあるあるネタとして通用しウケたのではないかと思うのです。

なぜ「意識の高い学生」は人の心を動かしたか

個人的には、こういった「意識の高い学生」ということばの流行の影には、授業に出席してレポートを書いて単位数を揃えて卒業する「普通の学生」から見て、こういったどこか滑稽にも感じる「学生らしくなさ」を持った学生のほうが、結果的にシューカツでも成功するし異性にもモテてしまうところへの反感が強くあったように思います。特に就活においては地味に勉強をしていたというアピールよりも学生団体の運営や海外でのボランティア活動、企業での(無給のことも多い)インターンのような、学業以外の部分のアピールのほうが有効に働いてしまう(少なくとも、シューカツ指南本のようなものにはそういったアピールをするよう書かれているというイメージが強い)ということもあって、そういったキラキラした存在へのルサンチマンを元に、「意識の高い学生」という具体像が形成されていったのだと思います。

これ以前にも、「意識の高い学生」という表現自体は数多く使われています。2010年6月29日に書かれた『意識の高い学生、ロスジェネ、素直になれなくて』には「最近は流行りの」として登場していて、そういった存在への反感が綴られています。

ふう。それにしても、最近流行りの「意識の高い学生」ってなんなんだよって感じですよまったく…。その意識って言葉が、無意識的に就活に向かっちゃってるのがいやな感じだよね。ファッション意識が高くても、環境意識が高くても、本来なら意識の高い学生なはずじゃん。

意識の高い学生、ロスジェネ、素直になれなくて

しかしこの当時「最近流行りの」とされていたのは「意識の高い学生(笑)」のような、皮肉めいた表現というより、純粋な意味での用法考えられます。当時の世間(シューカツ界?)での「意識の高い学生」の意味合いは、もっとポジティブなものでした。

そもそも、「意識の高い学生」ということば自体は、僕が大学1年生だった2007年頃には使われていた記憶があります。ちょっと探しただけでも2007年頃の学生団体のイベント記事や就活サービスのプレスリリースではポジティブな意味で使われていたことが確認できます。

2006年12月23日古賀ブロの会

古賀ブログというというブログを通じて出会った意識の高い学生を集めたイベント

自己分析グループワーク
池袋Tシャツメッセージ
みのわ愛 ウォーキング講座
10万円プレゼン

学生60人

学生団体GRIP イベント

以降、1万人以上の学生がセミナーを受講し「就職活動の本質がわかった」「このセミナーに出たからこそ就活を楽しめた」「意識の高い学生と知り合えた」と高い評価を得ています。

就職サイト『[en]学生の就職情報』過去1万人以上が参加!人気就活支援セミナーを2009年卒学生向けにスタート

意識の高い学生botのアカウントがTwitterに登録されたのが2010年11月1日、そのbotについての考察記事が発表されたのが2010年11月23日、このあたりから揶揄するニュアンスを持った「意識の高い学生」ということばは広く使われていくようになっていきます。キャリアや就活関係の著書を多数出版している常見陽平氏の2011年2月7日のブログ記事にはそのことについて触れています。

「意識の高い学生」


なんて曖昧な言葉なんだろう?
実は意味って1つじゃないよな。

というか、見事に乱れた日本語なのかも。「○○に対して」という対象がすっかり抜け落ちているなと思ったり。

その対象は多くの場合
1.就活(あるいは、広い意味での自分の将来)
2.社会問題など
3.自分磨き
かな。

あるいは、対象はどうでもよくて、物事についてよく考えている学生、行動が前のめりになっている学生もさすのかな。



いつしか、Twitter上では、ややスラング化している様子もあり、「就活に一生懸命すぎる気持ち悪い学生」「リア充すぎる学生」という意味もあるかなぁ。うん、最近は学生を揶揄する文脈で使うことが多いかな。いわゆる就活エリート層とイコールになってきている?

「意識の高い学生」という曖昧な言葉

ほかにも2011年3月に開催された斎藤大地(@daichittaX)氏による「意識の高い学生」をテーマとした討論イベント「MASTERPLAN」の企画書では、「意識の高い学生」と「意識の高い学生(笑)」を区別して、後者を意識の高さや意識の高い行為を自慢する者として使っています。

 「意識が高い」とは、交流会・講演会・説明会やインタビューなどに積極的にアクセスし、「すごい人」に会ったりすることをきっかけとして社会参加(特にビジネスや環境・国際・貧困など)を志向していくこと、と定義してよいと思う。もちろんその主催者はさらに意識が高いとみなされる。

 今回お呼びした3人も違った手法で、それを行っている3人である。

 しかし、「意識が高い」とは、様々な形で皮肉として使われることも多い。特に「”自”意識が高い」と呼ばれるような、自分が上記のような態度をとっていることで他の学生よりも自分は価値があると思い、Twitterやブログなどでその自意識を発露させている学生はよく意識が高い(笑)と呼ばれる。

「MASTERPLAN」企画書

ところで、「意識の高い学生」ということばを、対象者を揶揄するようなニュアンスで最初に使い出したのはどこの誰なのだろいうということを調べていくと、2010年9月には「意識の高い学生の盲点」という記事が書かれていました。

「意識の高い学生」
このフレーズはたまに耳にすることがある。
「君は意識が高いねー」とか「ここに集まってる人はみんな意識が高い人」だとか。
もはや使い古されていて、「意識が高い」っていう表現を嫌う学生もいたりする。

意識の高い学生の盲点

 ここに書かれている「意識の高い学生」はMASTERPLANの企画書で(笑)をつけていた存在に近いように感じられますが、やはり意識の高い学生botのような、ステレオタイプ的な意識の高い学生像というものはそこまで具体的にイメージされていないように感じられます。

さらに古い記事を探していくと、「シューカツが気持ち悪いのは要するに進化ゲーム理論」という2008年12月16日に書かれた記事を見つけました。探した限りでは「意識の高い学生」ということばを揶揄する目的で使っている例として最も古く、そして(笑)が付いているのも見逃せません。

進化ゲームに関して言えば「シューカツ≒受験」であると認識している。二ヶ月ほど前、「意識の高い(笑)」学生のための就活勉強会というものに参加し、その雰囲気から都会の予備校を思い出した。田舎の公立高校*3に通っていた僕は、高三の冬、大手予備校の直前対策冬期講習を受けに初上京した。そのときにそっくりで、気持ち悪かった。あの教室は、「受験に合格する」という前提を空気として保有していた。

シューカツが気持ち悪いのは要するに進化ゲーム理論

「意識の高い学生」に関する考察や議論が行われる一方で、「意識の高い学生」のステレオタイプをまとめたものも目につくようになっていきます。2011年7月ごろの意識の高い(笑)学生にありがちなことという2chスレッドには「意識の高い学生」の「あるあるネタ」が大量に投稿されています。2011年8月18日にはNEWSポストセブンが「就活スラング「意識の高い学生www」たちの残念行動13パターン」という記事(どうやらこれも常見陽平氏が書いたものらしい)で、やはり「意識の高い学生」の例を挙げています。はてなダイアリーキーワードの「意識の高い学生(笑)」にもやはりこういったあるあるネタが書かれています。2012年2月にはfromdusktildawn氏が「最近、「意識の高い学生」という言葉をよく見かけるが、意味がよく分からないので、ネットで意識高い学生の特徴を拾い集めてみた」として多くの特徴を列挙しています。

ここからは個人的な感想になってしまうのですが、この数々のあるあるネタを読んでいくと、だんだんと当初存在していたキラキラした意識の高い学生へのルサンチマン的なニュアンスが徐々に薄れてきて、ただそういう行為や言動の類型を笑うニュアンスだけが残っているように感じます。学生の間だけのスラングとして使われていたことばが、もっといろいろな世代や立場の人に触れたこと、2010年に大学3,4年生だった学生の多くが卒業して社会人になったことが大きな原因でしょう。

常見陽平氏の記事では特にその傾向が顕著で、 最初はことばの使われ方に疑問をもっていたのが、その対象となっている学生を諭すような内容となり、そしてあるあるネタになってしまうという、対象としている読者層が全く違うとはいえことばの使われかたの変化を如実に表しているように思えます。ちなみに最近は「大学にとって公害、いや人害」としつつも「周りに意識の高い学生wや意識の高い社会人wがいても、圧倒されず、焦らず、面白がりましょう」と主張しています。

先日、イケダハヤト氏が「意識が高い学生」でいいじゃないかという記事を書いていたのですが、参照しているのがfromdusktildawn氏の意識の高い学生の特徴を列挙した記事であったりして、そもそも意識の高い学生という言葉が使われだした頃のニュアンスがちゃんと認識されていないのかなと思いました。そもそも本来であればポジティブな意味で使われていた言葉なのでそこからネガティブなニュアンスを想像するのは難しいと思いますし、あるあるネタからもやはりそれらを想像することは難しいでしょう。

ここでふと思い出したのが、「中二病」の発案者である伊集院光をラッパーのZEEBRAがdisった事件で、ことばの意味がいろいろな人に使われるうちにだんだん変わってきて、変に解釈されて批判されてしまうというのがすごく似ているなと思ったのでした。